大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所 昭和30年(ワ)356号 判決 1957年12月14日

原告

岸田静子

被告

広島山佐運輸株式会社

外一名

主文

被告等は原告に対し各自金二百五十万八千七百十七円及びこれに対する昭和二十九年三月二十二日より支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを十分し、その四を原告の負担としその余を被告等の連帯負担とする。

この判決は原告勝訴の部分に限り原告において金五十万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

(省略)

理由

被害者元秀が昭和二十九年一月二十二日午後二時四十五分頃、軽モーター付自転車に乗つて明石市魚住町金ケ崎二百三十番地附近の明姫国道上を東より西に向つて進行中、反対方向より進行して来た被告会社の被用者である被告越智の運転する広一―二一四四〇号貨物自動車の右側前後輪間に、車道中央に頭を向けて転倒し、該自動車の右側後輪に強圧されて死亡したことは当事者間に争がない。

原告は、被害者はその右手甲を被告越智の運転する自動車の右側前部バンバー又は運転台附近シヤシーに接触されて転倒したと主張するが、これにそう証人井村正一の証言は遽に措信し難く、事故当日被害者が着用していた衣類の写真であると認められる検甲第九ないし第十五号証、及び事故当日被害者が着用していたものであることについては当事者間に争のない検第十七ないし第二十号証並びに証人井内功の証言を以てしても右主張を肯認するには足りない。そうすると、被害者は自ら転倒したものという外なく、この事実に証人高橋鉄夫の証言及び成立に争のない甲第九号証を併せ考えると、かえつて、被害者は国道南側歩道を進行し、本件自動車とすれ違う瞬間、歩道より約五糎高い車道の側面に車輪がすべつて自転車もろとも車道上に身体を投げ出され前記のように自動車の前後輪間に入つたことが窺われる。

そこで本件事故が被告越智の過失によつて生じたものであるかどうかについて判断する。被告越智運転の自動車が車道右寄りに進行していたことは当事者間に争がなく、該自動車と被害者の自転車とがすれ違う際、自動車が車道南端より〇、九米のところを進行していたことは被告の自認するところである。そして右事実と成立に争のない甲第九号証、同第十四号証(一部は信用しない。)、いずれも原本の存在及び本件事故当日の写真であることにつき争のない検甲第一ないし第八号証、証人竹下吉男、林享(第二回)、高見繁雄高橋鉄夫(一部は信用しない。)の各証言、及び被告越智重信本人尋問の結果(一部は信用しない。)、並びに検証の結果とを併せ考えると、本件事故現場附近の明姫国道は一直線をなしており、両側は田圃で現場より東方約五百米、西方約三百米の範囲内の道路添いには建造物等がなく見透しが十分であり、該国道は幅員約十米で道路中央は幅員六米のコンクリート舖装道路(車道)で、その南北両側に無舖装の幅約二米余の歩道があり、現場附近の車道はところどころ亀裂があるが平坦で自動車の通行には何らの支障がなく、事故現場より約六米東方の車道は一面に長さ約四米に亘つてバウンドの箇所があり、コンクリートが剥離して下部の土、小石等が露出し若干低くなつているが極端な窪地とはなつておらず、事故当時、その箇所の北側の部分(自動車の進行方向よりすると左側)の方が南側の方よりも通行が容易な状態にあり、それより東方においても自動車の進行を妨げるような道路状況がなかつた、又現場附近の歩道は南北両側とも道路際の部分が枯草のある畔のようになつており、その南側歩道は、その車道との境界線より畔の部分までは一米三〇あり、事故当日は前日の雨天のため、その道路状況が悪く、前記バウンド箇所の数米東方車道に接して水たまりが三、四箇所あるような状況にあつた、本件事故のあつた頃、現場附近は東行の自動車が引続き、西行の自動車がなかつた、かかる状況下において、被告越智は国道上を本件事故現場に向つて前行自動車(被告会社のもの)の約三十米後を時速約三十粁で進行していたが、右前行自動車が前記バウンドを通過すべく車道右側を進行していたので、被告越智はこれに追随すべく、車道中央より右側に寄りつつ車道南端より約一米へだてて進行し前記バウンドに近接していたところ、前方右側歩道上を道路状況示悪いためにふらつきながら進行して来る被害者の軽モーター付自転車を認めた(被害者が速力のある軽モーター付自転車に乗りわざわざ道路状況の悪い歩道を進行していたことよりすると、被害者は東行自動車が車道南側を進行して来るのでやむなく歩道を進行していたものと推測するに難くない)。しかし被告越智は右自転車の運転方法が危険であることを認めながらも危険は発生すまいと漫然信じ、そのまま自動車を進行させバウンド直前約十米において右自転車とすれ違う瞬間、自動車右横においてガチヤンという音を聞いて急ブレーキをかけると共にハンドルを左にきつたが、時すでにおそく前記のように前後輪間に転倒した被害者の右上腰部及び右胸部を右側後輪で強圧してひきずり死亡させたことを認めることができる。右認定に反する甲第十四号証及び証人高橋鉄夫の証言、被告越智本人尋問の結果の各一部はいずれも前記証拠に対比したやすく信用しがたく、他に右認定を覆すに足りる証拠がない。

およそ自動車の運転者が本件における如く中央に舖装道路があり一応歩、車道を区別しうる道路上において自動車を運転する場合、交通規則を厳守し、特別の事情のない限り車道の左側を通行すべき義務があり、かりに右義務に違反して車道右側を通行する場合には前方車道を進行して来る車馬に注意すべきは勿論、右側歩道上に待避しつゝ進行して来る自動自転車に対しても、その動静に注意し、何時でも停車しうるよう速度を低減して除行し、或は該自動自転車が歩道の道路状況が悪いためその運転に困難していることが認められれば、直ちに左側に進路をとつて、車道上の進行を容易ならしめ、又は一時停車をしてその通過を待つなど適宜の措置をとり、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるというべきを相当とする。本件において、前記認定の如く、自動車が左側を通行すべき何等の障害もなく、ただ前行車が右側を通つたからこれに追随したにすぎず、この点被告越智に左側通行義務違反の行為があり、それがため被害者は車道上を進行できず、本件事故発生の重大な原因となつたものというべきである。そして又被告越智は被害者の自転車運転が危険な状況にあり、又歩道状況が悪いことを認識しながら、前記注意義務に違反し適宜の措置をとらずそのまま進行したため本件事故が発生したのであるから、被告越智はいずれにしても自動車運転者としての注意義務を怠つたものといわざるをえない。そして被告越智において前記注意義務を守り前記措置をとつていたとすれば本件事故をさけることができたということができる。すなわち、本件事故は被告越智の過失によつて生じたのである。

そして右事故が、被告越智において被告会社の被用者としてその業務執行中に生じたものであることは被告等の明らかに争わないところであるから、これを自白したものと看做す。

そうすると、被告等は各自、本件事故によつて生じた損害を賠償すべき義務があるといわねばならない。

そこで進んで本件事故によつて生じた損害の額について判断する。

原告は被害者元秀の営業純益は年百七十八万円であるから今後毎年右の利益をあげうると主張するが、これにそう訴取下前の原告湯通堂佳子の供述(一部)及び同供述により成立を認めうる甲第二号証は後記証拠に比照して遽に信用することができず、他に右主張を肯認するに足る証拠はない。かえつて成立に争のない甲第三号証の一ないし五証人上口常次郎の証言及び右湯通堂佳子(一部)の供述原告静子本人尋問の結果、並びに弁論の全趣旨を総合すれば、被害者元秀は本件事故当時満二十八才で、昭和二十年九月に岐阜薬学専問学校を卒業し、京都大学薬学教室にて研究中、同二十二年実父(原告静子の夫)死亡後ゴム工業薬品販売を営む訴外上口常次郎方に就職し、同訴外人の手伝をしていたが、嘱望されて同二十五年九月頃同訴外人の後援によりその営業を岸田商店名義で行い、同訴外人に対しては生活費名義で毎月三万五千円宛を渡すこととして使用人を雇わず(尤も妹の湯通堂佳子が帳簿整理等の手伝をしていたが)営業をして来たが、その営業上の利益は少くとも一ケ月八万円であつたこと、及びうち三万五千円を右訴外人に渡し、うち約二万五千円を原告に渡してこれをもつて一家三人の生活費としていたことを認めることができる。右認定の事実よりすると右三万五千円は営業上の経費と解するを相当とする。そして元秀の一ケ月の生活費が二万円であることは原告の自認するところであるから、右八万円から上口に対する三万五千円及び右生活費二万円を控除してえた二万五千円が元秀の一ケ月の純利益となる。ところで原告静子本人尋問の結果によれば元秀は事故当日まで身体健全であつたことが認められ、昭和二十九年に二十八才であつた者の平均生存年齢が六十才であることは当事者間に争がないから、元秀は本件事故がなければ、なお少くとも三十二年間は生きられた筈であり、右収入は特別の事情がない限りその間同じ程度にえられたと認めるのが相当である。そうすると三十二年間に得べかりし純収益は九百六十万円となるが、これは一ケ年三十万円の額が年々積つて三十二年に達する額であるからホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して現在の価額に算定すると、三百六十九万二千三百七円(円未満切捨)となりこれが本件事故によつて元秀が受けた損害の額である。

ところで本件事故について被害者にも過失がなかつたかどうかについて考えてみるに、前記認定の如く、前行の自動車が車道右側を東行し、被告越智の運転する自動車もこれに追随して車道右側を進行したため、被害者の自転車もやむなく車道南側歩道を進行しなければならない状態にあつたとしても、さきに認定した如く、被害者の自転車が歩道の道路状況が悪いためにふらついており、かつ又事故現場における南側歩道は車道よりも約五糎も低くなつていたから、車道南側を東進して走る自動車については細心の注意を払い、一時降車して自動車の通過を待つか、又はそのまま進行して車道に接近する場合には右車道側面に車輪がすべらぬよう細心の注意を用いる等事故防止に協力すべき義務があるにも拘らず、被害者はこれに違背し、一時停車をせず、危険なきものと軽信してそのまま車道に寄りながら進行し、その車輪が右車道側面にすべつて車道に身体を投げ出され本件事故の発生をみたのである。してみると被害者の過失も本件事故発生の一因をなしているものといわねばならない。

そして右被害者の過失を斟酌するとき、本件事故によつて生じた前記損害のうち被告らの責任とすべき額はその五分の三に相当する二百二十一万五千三百八十四円(円未満切捨)をもつて相当と認める。

すると、本件事故により二百二十一万五千三百八十四円の損害賠償請求権が被害者について生じたのであり、成立に争のない甲第八号証によると、原告は被害者の唯一人の相続人であることが認められるから、原告は右債権を相続により承継取得したわけである。

次に慰籍料の請求について考えてみるに、原告方における被害者の前記認定の地位からいつて、その死亡により原告が甚大な苦痛を受け、又将来も長く受けるであろうことは察するに難くない。そこで前認の原告方の事情、被害者の年齢、その過失の程度その他諸般の事情を考慮して、原告の受け又受けるべき精神上の苦痛に対する慰藉料としては金二十万円を相当と認める。

そして弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第六号証によると原告は被害者の死体引取費用として事故当日の昭和二十九年一月二十二日に五千三十円、翌二十三日より同年三月二十二日まで葬式、法要、納骨、現場供養等諸費用として計八万八千三百三円合計九万三千三百三十三円を支出し、同額の損害を蒙つたことを認めることができ、右損害は本件事故の結果に因るものであるから被告らにおいてこれを賠償すべき義務がある。

果してそうだとすれば被告等は各自原告に対して合計二百五十万八千七百十七円及びこれに対す前記現場供養費を支出した昭和二十九年三月二十二日より支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があり、原告の本訴請求はこの限度において正当として認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条、第九十三条第一項但書前段仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 村上喜夫 三輪勝郎 尾鼻輝次)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例